はじめに
B Team(現Simple Man Martial Arts)のYouTubeやCJIを追っている方の中には、「Ecological(エコロジカル)」という言葉を耳にしたことがある方も多いかもしれません。エコなグラップリングってどういうこと?って思われたかもしれませんが、実はこれは、環境に優しい“エコ”の話ではありません。このエコロジカルという言葉は生態学的、というような意味で使われており、スポーツの文脈では海外のスポーツ科学やコーチング理論で広がっている生態学的アプローチ(Ecological Approach / Ecological Dynamics)に基づくトレーニング設計/コーチングの思想のことを指します。
端的にいうと、このトレーニング方法は特定のテクニックを暗記してドリルするのではなく、より実戦に近い“環境や制約”をデザインして、そのシチュエーション練習を反復する中で生徒が自分でムーブメント(動作)の正解を見つけ、それを通じて上達を促すというものです。
グラップリングではデアンドレ・コービー(Deandre Corby)らのコーチとして知られるグレッグ・ソーダース(Greg Souders/Standard Jiu-Jitsu)が提唱・推進しています。一方で彼の主張、手法には少し極端なものもあるために批判もされています。本稿ではソーダースの提唱する手法に触れつつ、もう少し広い目線で新しいグラップリングの練習方法およびその考え方としてエコロジカル・トレーニングを紹介します。
エコロジカル・トレーニングとは
基本的な考え方
エコロジカル・トレーニングは「絶対的な正しい動きは存在しない」という捉え方をその考え方の中心に据えています。それは、物事に正しいやり方が存在しない、ということではなく、例えばニーカット一つをとっても相手の大きさや力、反応、そして自分の疲労度や力、そして身体付きなど一つ一つの条件を全て照らし合わせれば全く同じ動きをするということはありえない、またムーブメント(動作)の最適解も変わるという考え方です。
この考え方に基づくと同じ動きを同じ条件下で何度も繰り返す練習方法はあまり効果的ではないということになります(実際に同じ動きを繰り返すことはないので)。では反復練習が全て無意味なのかというとそういうわけではもちろんなく、むしろエコロジカルトレーニングでは反復練習が推奨されています。ただ、推奨されているのは同じ動作を繰り返すことではなく、違う相手の反応など諸条件が異なる中で同じ目的を達成しようとする練習、言い方を変えると部分練習/シチュエーションスパーリングのようなものになります。
この部分練習においては条件の設定が重要で、例えば広くパスガードを鍛える目的で「ニーカットをする」という練習をしても実際にはニーカットが有効ではない場面も多くあるため条件が狭すぎると言えます。一方で「よーいどんの状態からパスガードをする」だと今度は条件が広すぎて、ほぼ通常のスパーリングと変わらなくなってしまい反復練習としての度合いが薄まってしまいます。一方でどこからでもニーカットを狙う練習というのももちろんあり得ます。ここの設定の仕方こそがエコロジカルトレーニングにおけるコーチの腕の見せ所と言えます。良い練習、悪い練習があるのではなく、なるべく目的に沿った練習をする。普通の練習が目的が曖昧ならもう少し特化させた練習をするというような感じです。
広義のエコロジカルトレーニングはこのように、ムーブメント/動作の練習は、実際の競技の文脈になるべく基づいて行うべきであるという考え方に基づくトレーニングを指します。これはスポーツ心理学ではある程度昔から提唱されている考え方ではあるのですが、近年はスポーツ心理学の博士号をもつロブ・グレイ(Rob Gray)という人物がポッドキャストや著書で盛んに取り上げており再注目されています。
柔術/グラップリングにおける提唱者であるソーダースはポッドキャストの中で、1万回ドリルすることを強制されるような練習方法への疑問からこのような考え方にいきついたということを説明しています。彼はエコロジカル過激派とも呼べる考え方をしており、自身のジムでは従来のテクニックの実演/練習という方法は一切取らず、初心者に対してもこのようなトレーニングを通じたスキルの習得をさせていると公言しています。彼の考え方は過激ではあるものの「目的が達成されるのであれば正しい動きというのは存在しない」「本当に正しい動きは実践の中で自然と見出される」というエコロジカルトレーニングの信念に基づいたものであるとも言えます。
実際の練習の設定例
ソーダースがYoutube上で紹介している、ゲームと呼ばれる条件設定はPlay Jiujitsu Gamesというサイトでまとめて紹介されています
https://www.playjiujitsugames.com/
ソーダース以外の提唱者だと、私が参加したプリート・ミケルソン(Priit Mihkelson )のセミナーも同じ考え方に基づいてセミナー内容が設定されていました。プリートの弟子がローカルのグラップリングの大会でいきなりしゃがみ込んで亀の状態から試合をスタートする動画は一時期ネットでも話題になりましたが、プリートのジムも特にディフェンスについてはエコロジカルトレーニングを実践していると言っていました。これは、ひたすら亀からのポジションスパーをしているということではなく「フロントヘッドロック(ガブリ)から後ろを取る/取られない」「亀から手を取る/取らせない」「亀をひっくり返す/かえさせない」というようにポジションスパーをさらに細かく分類した条件別の練習をしているということです。
他にも、カウアン・タニノがTwitterで発信していたAtosの練習方法などもこのような練習方法と言えますし、ジョゼフ・チェンがセミナーなどで言っていたテクニックを細かく分割して何度も実践する練習方法も近いものであると言えます。自分の所属するAbsolute MMAでも同様の練習をプロ練で実施しています。
Tweet from @kauan_tanino
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日々の練習への活用例
ソーダースのような「テクニックの勉強やドリルは不要」という考え方はすこし過激すぎて個人的には共感しづらいのですが、一方でテクニックが身体に馴染んだ状態を作るためには実践が必要ということは言わなくてもわかることだし、同じテクニックでも人によってやり方が違う(=正解はない)ということも実感としてわかります。
テクニックの学習においてはそれぞれのテクニックの論理や目的を理解し、それを様々な条件下で試すこと、また細かく条件分けしたポジションスパーの実施や、その中で目的を達成できそうな動きであればやっとことない動きでもやってみるというのは日々の練習においても実践できそうな内容だと思います。
また指導者目線で言うと型にはまった指導に固執するのではなくこのような実践重視の考え方があることを知り、取り入れてみることは有効なのではないでしょうか。今後、グラップリング・コーチという存在が一般化していくとすると、テクニックの講義だけでなくこのような練習の仕方の設定だったりムーブメントに特化した考え方だったりは重要になっていくと私は考えています。また、特に子供むけには決まった動きを押し付けるのではなく、目的(相手の足を越える、肩をピンしたまま動かなくさせる、など)を与えてある程度自由に動かさせた方が有効であると言う研究結果もあります。
個人的にはこの考え方は特にディフェンス力を高めるのに効果的だと感じています。テクニックとしてクラスで習うのは足が入った/入ってない、タスキをどちら側の手で取っているか、くらいの条件設定からせーので始めるテクニックがほとんどだと思いますが、実際に重要になるのはバックの取られ際だったりそのようなポジションの間の際だったりすると言うことに異論がある上級者の方はいないと思います。このような流動的なポジションへの対応こそ、一定の条件における反復練習が特に有効な場面なのではないでしょうか。
他の競技の事例
- つい先日、NBAのビクター・ウェンバンヤマが同様の考え方に基づくトレーニングを実践していると言う記事がアップされていました。記事内では大谷翔平も取り上げられています。
https://www.nytimes.com/athletic/6665943/2025/09/29/sports-training-cla-coaching-wembanyana-ohtani/
- サッカーはこのようなトレーニングの導入が特に進んでいるスポーツで、FIFAのサイトなどでも紹介されています。例えばフィールドの大きさや条件、人数を変えるミニゲームなどが一例として挙げられます。
https://www.fifatrainingcentre.com/en/environment/science-explained/high-performance/train/keith-davids-on-ecological-dynamics.php
- レスリングのドリルにはこの考え方が暗黙のうちに取り入れられていると私の経験上感じます。レスリングのアップ後に行うドリルは柔術の力を抜いて動かない相手に対するドリルと違い(競技、テクニックの特性もありますが)、受け手も動いて反応する中でテクニックを実践していくような形をとる場合がほとんどです。Absolute MMAではリーバイが同様のドリルを何時間もぶっ通しでやっている姿がよく見られます。
理論的背景・キーワード
アフォーダンス:行動の可能性は環境によって認知されると言う考え方。ギブソンの知覚論(1979)が源流。
制約主導アプローチ(Constraints Lead Approach/CLA):個人・課題・環境の制約を調整して、望む振る舞いが“自然に”出るよう場を設計する。コーチが“環境デザイナー”になる。ルール/初期配置/用具/人数/時間圧…で学習を誘導する。
さらに学ぶために
※Amazonアソシエイトを利用しています
英語のコンテンツがほとんどなのですが、エコロジカルトレーニングを日本語で紹介する本が一冊Amazonにありました(内容は未確認です)
https://www.amazon.co.jp/-/en/%E6%A4%8D%E7%94%B0%E6%96%87%E4%B9%9F-ebook/dp/B0BYCN3VDJ?crid=SUEEE8PGQQFR&dib=eyJ2IjoiMSJ9.hxBZEvBMFkL23ZqDTl62n5yETpi8Cn69e2K-kXjF2jpHipaDDGsmd8NibsEjMS3c.Jd4zLmVozSWq5hmdB67otnVTaWwCX4NGGDC3HIdqmr8&dib_tag=se&keywords=%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0&qid=1760685518&sprefix=%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%2Caps%2C2101&sr=8-1&linkCode=ll1&tag=knkwalks-22&linkId=d7582957f8b513bcd95418f94cbf3bcf&language=en_US&ref_=as_li_ss_tl
英語でも大丈夫と言う方むけには、まずはソーダースがエコロジカルトレーニングについて紹介しているポッドキャストがおすすめです。聞いていただければ彼がいかに過激派であるかわかっていただけると思います。
グラップリング、柔術以外も含めたより一般的なエコロジカルトレーニングの入門的な内容としてはRob Grayの著書やポッドキャストがおすすめです。
https://amzn.to/4on4Shd
より学術的な内容も踏まえた書籍ではRenshaw, Davids ほかによる『Constraints-Led Approach』がおすすめです。コーチのための設計原則の教科書。