ようこそ、終わりのない旅へ
最初は、ほんの軽い気持ちだったはずです。
「運動不足を解消したい」 「護身術を身につけたい」 「週に1回、汗を流せればいい」
そう言って入会届を書いたあの日を覚えていますか?
しかし、気がつけばどうでしょう。
今のあなたは週に3回、いや週に5回道場に顔を出していないでしょうか。
仕事のスケジュールよりも練習時間を優先し、飲み会の誘いを「今日はちょっと用事(=練習)があって」と断る回数が増えてはいませんか?
ようこそ、柔術という名の沼へ。
ブラジリアン柔術は、単なる格闘技やスポーツではありません。
それは一度足を踏み入れたら抜け出せないライフスタイルであり、愛すべき依存症です。
この記事を読んでいる時点で、残念ながら(あるいは喜ばしいことに)、あなたもすでに手遅れです。
今日は、そんな私たちが失った平穏な日常と、その代わりに手に入れた「柔術家あるある」について語り合いましょう。
日常生活編 ~洗濯機と指の悲鳴~
柔術にハマり始めると、まず最初に悲鳴を上げるのはあなたの肉体……ではなく、自宅の洗濯機です。
洗濯機が過労死寸前
柔術家にとって、洗濯機は戦友です。
真夏のスパーリング後、汗で数キロ重くなった道着(ギ)を持ち帰り、ラッシュガード、タオルと共に放り込む。これを週に何度も繰り返します。
一日に二回洗濯機を回すのは当たり前。
ベランダや部屋の中には、常に乾きかけの道着がぶら下がっており、インテリアの一部と化しています。
そして私たちは、柔軟剤のフローラルな香りよりも、生乾きの匂いに異常なほど敏感になります。
菌との戦いは、マットの上だけでなく、洗濯槽の中でも行われているのです。
謎のアザと、曲がらない指
朝、シャワーを浴びているときにふと「あれ、こんなところにアザあったっけ?」と気付くときありませんか?
二の腕、太ももの内側、時には顔。
身に覚えのないアザは、昨夜の良いスパーリングの勲章です。
そして、指。
特に袖や襟を強く掴むスタイルの人は、朝起きると指が固まって動かないカギ爪状態になります。
ペットボトルのキャップを開けるときに走る激痛。
「突き指」なんて、もはや怪我のうちに入りません。それはただの日常です。
街中での視線が変わる
ファッションへの意識も変わります。
かつてはブランド物のシャツに興味があった人も、気づけばvhtsやKINGZの新作だったり、機能性の高いラッシュガードに数万円を投じるようになります。
街中で100Aのキャップを被っている人を見ると、「お、柔術家か?」と二度見してしまう。
耳が餃子のように潰れている人を見かければ、それがどんな高級スーツを着ている人であっても、無条件で敬意(と警戒心)を抱くようになるのです。
対人関係・思考編 ~世界の見え方が変わる~
帯の色が変わるにつれ、世界の見え方が変わってきます。
まるでPCのOSが書き換わってるようなほどの変化があるのではないでしょうか?
アクション映画が素直に楽しめない
『ジョン・ウィック』のような素晴らしいアクション映画を見ていても、純粋にストーリーを追えなくなります。
「今の腕十字、肘の支点がズレてたな」
「あそこでバックテイクできたはずだ」
「今のチョークは浅い。あれじゃ落ちない」
隣で感動しているパートナーをよそに、脳内で技術解説を始めてしまう。
アクションシーンで、主人公が綺麗な柔術の動きをすると、物語の内容に関係なく評価が爆上がりします。
他人を「スペック」で見てしまう
これは少し危ない兆候ですが、満員電車などで前に立った人の首元を見て、「良い襟(エリ)してるな…掴みやすそうだ」と考えてしまったことはありませんか?
あるいは、初対面の人と握手をした瞬間、相手の手首の太さや前腕の筋肉量を確認し、「この人、フィジカル強そうだな」と勝手なスカウティングレポートを作成してしまう。
柔術家にとって、すべての人間はパスガードできるか、スイープできるかの対象として映り始めてしまうのです。
愛ゆえの「技の実験」
家族や恋人へのスキンシップにも変化が生じます。
ハグをしようとして、無意識に脇を差して(アンダーフック)ポジションを有利にしようとしたり、ソファでくつろいでいるパートナーに対し、隙あらばマウントポジションやニーオンを試そうとして怒られる。
「動かないで、ちょっと試したいことがあるんだ」 そう言われて実験台にされる家族の苦労は計り知れません。
道場(マット)編 ~最大の嘘と真実~
そして舞台は道場へ。ここには、熟練者だけが知る「暗黙の了解」と「真っ赤な嘘」が存在します。
柔術界最大の嘘:「今日は軽くやりましょう」
スパーリング前、相手が笑顔でこう言います。
「今日は怪我明けなんで、軽くやりましょう」
これは絶対に信じてはいけません。
グータッチをした5秒後、彼らはパスガードやサブミッションを仕掛けてきます。
"軽く"とは、(僕が気持ちよく攻められるように)軽く(受けてね)という意味か、あるいは(全力の50%ではなく)85%くらいでという意味です。
特に、帯の色が上がるほど、この言葉の信頼度は著しく低下します。
これは柔術界における伝統芸能のようなものです。
OSS(オス)の万能性
道場内では、日本語の複雑な文法は不要です。
「こんにちは」
「お願いします」
「ありがとうございました」
「ごめんなさい」
「了解しました」
「ドンマイ」
これら全てが、たった二文字OSS(オス)で表現可能です。
あまりに便利なため、会社の上司やコンビニの店員にうっかりオス!と言ってしまい、変な空気になるのも通過儀礼の一つです。
スパーリング中の「待って!」
スパーリング中、基本的に「待った」はありません。
タップ(参った)があるのみです。
しかし、唯一の例外があります。
それは「足がつった時」です。
絞め技や関節技には耐える猛者たちが、ふくらはぎがつった瞬間だけは、子供のような顔で「タイム!タイム!足つった!」と叫びます。
一方で、昇帯がかかっている時期や、ライバル関係にある相手とのスパーでは、そう簡単にタップしたくないという謎のプライドが発動します。
早めのタップが怪我を防ぐと初心者に教えながら、自分はギリギリまで粘る。
その矛盾こそが、柔術家の人間臭さです。
それでもマットに上がる理由
洗濯機を酷使し、指を痛め、映画を純粋に楽しめなくなり、嘘つきたちの集まる道場へ通う。
なぜ私たちは、これほどまでに柔術にのめり込むのでしょうか。
それは、マットの上が世界で一番公平で温かい場所だからかもしれません。
社会的地位も、年収も、年齢も、マットの上では関係ありません。
社長も学生も、医師もフリーターも、同じ道着を着て、ただ純粋に技術と体力を競い合う。
汗だくになってボロボロになるまで転がり合った後、互いに称え合って交わすグータッチ。
あの瞬間の爽快感と一体感は、他の何物にも代えがたいものです。
柔術家あるあるに共感し、苦笑いしたあなたは、もう立派な中毒者です。
失ったものは多いかもしれませんが、それ以上に得た仲間と充実感があるはずです。
指の痛みは、努力の証。 乾かない道着は、情熱の証。
さあ、今日も洗濯機を回しましょう。
そして明日もまた、道場でお会いしましょう。



